
日蓮正宗
筑波山
本證寺
令和八年六月度 御報恩御講

拝読した御文の薬王菩薩本事品第二十三の文にある「此の経」とは、法華経のことであり、今末法に約せば文上の法華経ではなく、御本仏宗祖日蓮大聖人様が説き顕された文底秘沈の南無妙法蓮華経のことであり、この妙法の功徳によって寿命を延ばしたり、業を消滅することができると仰せです。
また、定業・不定業とありますが、ここでは人の寿命について、定業と不定業ということがいわれています。定業というのは既に定まっている業、不定業というのは未だ定まっていない業という意味で、生まれながらに寿命が定まっているのと、定まっていないという二種類の業のことをいいます。
定業によって定められた命であっても、この妙法蓮華経の功徳によって命を長らえることができると仰せられ、不定業においては当然、命を延ばすことができるということです。寿命が決まっている人であっても命を延ばすことができるということは、それほど妙法蓮華経の功徳が広大無辺であるということです。
このことは当御書の中で、大聖人様の母君のことや阿闍世王の例えなどをもってお示しになられています。
また、『一念三千法門』には、
「百千合はせたる薬も口にのまざれば病も愈えず。蔵に宝を持てども開く事を知らずしてかつへ、懐に薬を持ても飲まん事を知らずして死するが如し」
と仰せになっているように、いくらこの妙法が私達末法の衆生にとって大良薬であったとしても、飲まなければ病を治すことはできないのです。
つまり、お題目を唱え、折伏を行じるという自行化他の実践の修行が大事であり、実践が伴わないことは、蔵に宝があっても開くことを知らなければ飢えてしまい、薬を持っていても飲むことを知らなければ病で死んでしまうことと同じであるということです。
御法主日如上人猊下は、
「折伏も同様、日々弛まぬ努力を続けていくことが最も大事なのであります。特に、折伏は自らが実践していかなければ功徳はなく、それは、あたかも他人が薬を服しても自らの病気は治することが出来ないのと同様であります」
と自ら実践することの大事を御指南です。
大きな功徳を頂戴することができる、この南無妙法蓮華経の御本尊を心から信じて、確信をもって自行化他の信心修行を実践して参りましょう。