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令和八年九月度 御報恩御講

御聖訓令和八年九月.png

 この『開目抄』は、主師親の三徳を示し、五重相対を通じて末法下種の法華経の行者である日蓮大聖人こそ、主師親の三徳を備える末法の御本仏であることを示された人本尊開顕の書であります。
 また本日拝読の箇所は、末法の御本仏・日蓮大聖人の発迹顕本をあらわしています。
 総本山第二十六世日寛上人は『当流行事抄』に、
「子丑の時は末法蓮祖垂迹凡身の死の終わりなり(中略)寅の刻みは即ち是れ久遠元初の名字本仏の生の始めなり」
「蓮祖大聖佐渡已後に今日凡身の迹を開して久遠元初の本を顕わす、豈発迹顕本の現証に非ずや」
と示されています。
 これは、竜口法難において上行菩薩の再誕という仮の姿、凡夫であった日蓮大聖人が、久遠元初の御本仏という真実の姿を顕され、垂迹上行、凡夫の頚が刎ねられ、御本仏の魂魄が佐渡に渡ったのであるとお示しです。
 この凡夫としての迹を払い、御本仏の本地を顕すことを発迹顕本といいます。
 また、法華経の勧持品第十三には、末法に正法を弘める法華経の行者は、三種類の敵から、さまざまな迫害を受けることが説かれています。そして現実には、大聖人様が竜口で頸を斬られそうになり、さらに佐渡へ流されるなど、数々の大難を受けられました。
 これは、
「既に二十余年が間此の法門を申すに、日々月々年々に難かさなる。少々の難はかずしらず、大事の難四度なり」
と仰せのごとくです。
 この数々の難にも屈することなく正法を弘め続けたことによって、大聖人様こそ真の法華経の行者であることが、はっきりと証明されたのです
 佐渡から弟子たちへ届けられたこの「開目抄」は大難にも決して退かれなかった大聖人様のお姿が、まさに形見として示されているのです。
 この竜口法難から佐渡配流へと続く迫害は、弟子や信徒たちにも及びました。
 六十七世日顕上人は、御文の「みん人、いかにをぢぬらむ」を、
「日蓮の弟子のなかにも、信心の決定しない者は、この日蓮の身命を捨つる大難を見て、怖じ恐れることであろうと言われるのです。」
と御指南のように、迫害に耐えることができずに疑いを起こして退転してしまう人もいました。
 しかし当抄の最後に、
「日蓮が流罪は今生の小苦なれば、なげかしからず。後生には大楽をうくべければ、大いに悦ばし」
と仰せのように、過去世からの罪障が顕れたり、魔が競い起こる時こそ、信心で乗り越える時であり、罪障消滅をさせていただくチャンスなのだと、更に堅く御本尊様を信じて精進していくことが肝要です。
 この竜口の法難の月に当たって、ご自身が多くの難を受けながらも退かず、更に弟子や信徒達を励まされた大聖人様のお姿を拝し、魔に負けることなく自分の信心が一歩でも二歩でも前進していけるように精進してまいりましょう。

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