
日蓮正宗
筑波山
本證寺
令和七年八月度 御報恩御講

■強調・確認■
大聖人様は、御自身を末法の御本仏としての境涯を顕されるに当たって、種々の大難にあう理由を明かされ、因縁あって弟子檀那となり、武士の命でもある「太刀」を御供養された弥源太殿に対して、必ず一生成仏の大功徳があることを確信して、益々信心に励まれるように教えられている。
その為に、一には大聖人様の弟子であるという自覚。二には、一生成仏という御本尊の無上の功力を確信すること。を主眼に、祈りに対する心がけを教えられていると拝せられる。
世間の常識からすれば、非常識な人間に見えるかもしれないが、御自身は末法の法華経の行者であるがために、種々の大難に遭っている。その弟子檀那となった「不思議な因縁」を示されている。
本抄の前段に「かかる者の弟子檀那とならせ給う事不思議なり。定めて子細候らん」と言われていることを、我々も深く拝し、感謝申し上げることが大事。
末法において、御本仏大聖人様の御教えを修行する者に、様々な迫害や試練が訪れることはお経文(法華経勧持品)に記されている通りである。道理・文証・現証の上からもあきらかである。
深い因縁があって弟子檀那とならせて戴いたことを「無上の喜び」とし、大確信を持って諸難に向かい、何事も対峙して喜んで前進あるのみである。
弥源太殿は、武士の命とも言うべき「太刀」を御供養申し上げた。大聖人様は、弥源太殿の真心の御供養に対して、人の命をあやめる悪の刀が、御供養したことに対して善の刀に変わり、後生を助ける「発心の杖」になると御教示である。
御題目こそ、我々の死後の安穏を導いてくれる力強い杖・柱であると強調され、大聖人様を頼りにすべしと勧めて下さっている。なんと有り難いことでありましょうか。
悪の刀が善の刀に転じることは、悪鬼が道心を起こして妙法受持の人を助ける善鬼となるようなものであり、変毒医薬の原理を教えられている。信心をたもつ一人ひとりの純粋な信仰心が肝要と教えられている。様々な境涯の人間がいる中で、たとえ悪人であろうとも、罪を犯した人であろうとも、どの様な人でも救おうとされる「大慈悲」の教えと知っていこう。
宗祖大聖人様は末法の御本仏であり、究極最高の仏様である故に、大聖人様の御教えに帰依し御題目を唱えることが出来れば、即身成仏の境涯を絶対に得られ、大聖人様御自ら御案内して下さることを勉強した。どの様なことが身の上に生じても、安心して不退転の信心を進めていこう。
その為に心がけることは、一に一生成仏の信心。因縁を深く感じ、報恩感謝を忘れないこと。二に、一家和楽の信心。使命を自覚して、常に思いやりを忘れないこと。三に、大願成就の信心。所願を立て欲と慢心を捨てること。を夫々の立場から心がけ、実践をしていこう。活動充実を成していこう。