
日蓮正宗
筑波山
本證寺
令和八年四月度 御報恩御講

大聖人様は『唱法華題目抄』に、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや」
と仰せであります。
私達、末法の衆生は「本未有善」の衆生です。本未有善とは「本已有善」に対する語で、本已有善とは「本已に善有り」と読むように、已に善根を有している機根をいい、本未有善とは「本未だ善有らず」と読み、いまだ善根を有さない機根のことをいいます。
本已有善が釈尊の仏法に有縁の衆生をいうのに対し、本未有善は釈尊と無縁の末法の衆生のことをいいます。
拝読の御文にもあるとおり、釈尊に縁のある本已有善の衆生は、釈尊の在世または滅後の正・像二千年の間に成仏をしましたが、本未有善の末法の衆生は過去に仏種を受けておらず、善根もない衆生です。
日寛上人は、『依義判文抄』に
「釈尊の御化導は久遠元初に初まり、正像二千年に終るなり」
と、本已有善の衆生に対する化導が釈尊滅後の正像二千年までに終わったことを仰せられ、
「末法の衆生は皆是れ本未有善にして最初下種の直機なり」
と、末法の衆生は、すべて文底本因下種の妙法を植えられていない本未有善の機根であることを御教示されています。
この全く仏種を受けていない末法本未有善の衆生は、久遠元初の御本仏である宗祖日蓮大聖人様の妙法蓮華経をもって下種され、初めて即身成仏がかなえられるのです。
この大聖人様の仏法に縁をさせる、下種をするというのが折伏です。
日寛上人は、
「謂わく、若し本已有善の衆生の為には、摂受門を以て而して之を将護す。若し本未有善の衆生の為には、折伏門を以て而して之を強毒す」
と仰せられています。
「強毒す」とは「強いて毒す」ということで、正法を信じない人々に対しては強いて説き、仏縁を結ばせることです。末法の衆生は三毒が強盛のため、なかなか自ら妙法を求めることはいたしません。ですから私達がこちらから出向き、あえて三毒の心を起こさせ、毒鼓の縁を結ばせることも大切になります。
折伏することは、その折伏それ自体が縁となって、素直に信心をされる順縁の人だけではなく、たとえ謗ずる者であっても、広大なる御本尊様の功徳によって逆縁となって救われていくのです。
人に信心を伝えていくのは大変なことも起こってきます。しかし、その真心からの尊い折伏の行いが順逆の二縁となっていきます。
私達は困難に負けることなく、自らの罪障消滅のため、また自分に縁ある方をこの御本尊様のもとに導けるよう日々信心修行、折伏に精進して参りましょう。