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令和七年十二月度 御報恩御講

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 人の心というものは、流されやすく良くも悪くも周りの影響を受けやすいものです。
 大聖人様が『西山殿御返事』に、
「うつりやすきは人の心なり。善悪にそめられ候」
と仰せのごとくです。
 また『聖愚問答抄』に、
「人の心は水の器にしたがふが如く」
ともありますように、入れられた器によって水がその形を変えるように、人の心も周りのものに影響を受けて移ろいやすく変わりやすいものです。
 ことわざにも「朱に交われば赤くなる」とあります。これも良くも悪くも周りの影響を受けやすいことの例えです。
 自分の心に従って生きるという人も大勢いらっしゃいますが、このような移ろいやすく定まることのない自分の心に従っていてはいけないのです。
 自分の心に従うということは、わがままで自分勝手な信心に陥りやすくなってしまいます。
 そうならないためにも私たちの心をしっかりと定めることが必要になります。
 『妙密上人御消息』には
「麻の中の蓬、墨うてる木の自体は正直ならざれども、自然に直ぐなるが如し。経のまゝに唱ふればまがれる心なし」
と仰せのように、曲がりながら成長する蓬も真っ直ぐな麻と共に居れば真っ直ぐになること、曲がった木材も墨線を打てば真っ直ぐ製材できることに例えられ、流されやすい人の心も、大聖人様の教えのままにこの御本尊様を信じ拝していくことでしっかりと定めていくことができます。
 また反対に定める対象を誤ってしまうとそれが悪縁となり、自分の心に悪影響を及ぼしてしまいます。
 そして御本尊様を信じて修行していく姿勢・精神として本日拝読の御文にもありました「不自惜身命」があります。
 この「身命を惜しまず」について御法主日如上人猊下は、
「わけもなく命を無駄にするという意味ではなく、我ら人間に与えられた寿命という尊い時間を広布のために無駄なく使っていくということです。つまり、その尊い時間を大事にして折伏を行じていくということであります」
 また、「我々に与えられた尊い時間を、どれだけ仏様のために、広宣流布のために、一切衆生救済のために使えるかということなのです」と御指南であり、体や命を惜しまないというのは限りある大切な自分の時間を御本尊様のために使っていくこと、日頃の勤行・唱題や寺院の行事への参詣、そして法を弘めて人を幸せに導いていくための折伏にその時間を使っていくということです。
 自分の心に従うわがままで自分勝手な信心ではなく、私たちを正しく導いてくれるこの御本尊様にしっかりと心を定め、貴重な時間を信心修行・折伏のために少しでも使っていけるよう日々心がけ精進して参りましょう。

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