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令和七年六月度 御報恩御講

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■強調・確認■

○八風におかされない生き方

 一般世間では、人生全般において喜怒哀楽があり、そこに自らの人間性を磨いていく大切な意義があるとする。喜び・怒り・哀しみ・楽しみの等の感情をそのままむき出しにせず、心を鍛錬して感情を超越し、左右されない人間性を構築していくかに人生の意義があり、そこに心の豊かさと人間性の確立があるということ。

 しかし大聖人様は、今回勉強したように、八風におかされない人生を、生き方を心得ていくように御教示された。これらの八種は、二つに大別される。

 利(うるおい)誉(ほまれ)称(たたえ)楽(たのしみ)の四つは四順といい、人間に好まれるもので、多くの人が求めようとするもの。

 衰(おとろえ)毀(やぶれ)譏(そしり)苦(くるしみ)の四つは四違といい、人に嫌われるもので、多くの人が避けようとするもの。

 これら八つは、人々の愛憎の対象となって人の心をあおり、何らかの行動に駆りたてる。一つ一つが心身を惑わし平常心を見失わせるもので、風に例えられた。

 我々が、一番気をつけなければならないことは「信心を見失うこと」である。

 思う通りに事が叶っても浮つかない。願いが叶わず事が成就しなくても悲しまない。楽しくても、楽しさに執着しない。苦しくても淡々としている。得意の時でも失意の時でも、泰然自若としている。金吾殿のように、冷遇されても人を恨まないような生き方を信心で心得ていくことを「八風におかされない賢人」と勉強した。 自らの心を、唱題によってコントロールして、常に変わらない、偏らない平等の心に住した信心を心がけたいものである。

 我々には、有り難いことに御本尊様がいらっしゃる。常に御本尊様に向かい奉り、唱題に唱題を重ねて、八風におかされない生き方を、境涯の向上を心がけていけば、必ず御加護があると確信しよう。

 

○環境か自分か

 自分の思い通りにならない時、その原因を環境や人のせいにしてしまいがちである。世間では、人間には二種類いて、一つは何事も環境のせいにする人。一つは全て自分の責任であるとする人。に分かれるというものである。

 大聖人様は、我々の想いと振る舞いが環境を作り出し、環境が善悪共に自分たちを大きく活かしていくこと。環境に左右されるのではなく、環境をも従え、代えていく主体者としての生き方を御教示されている。

「上野殿後家尼御返事」(336頁)に、

「夫浄土と云ふも地獄と云ふも外には候はず、ただ我等がむねの間にあり。これをさとるを仏といふ。これにまよふを凡夫と云ふ。これをさとるは法華経なり」

と仰せられ、浄土や地獄の環境も、我々の外にあるのではなく、心の中にある、つまり信心こそ根本である。ということである。

 我々は、大聖人様が一切衆生救済のために御魂を墨に染め流して顕された、

「本門戒壇の大御本尊」様を堅く信じ奉り、大聖人様の御教えによってのみ、己の魂が浄化され人格が磨かれていくことを確信し合いたいものである。

 そして、御遺命達成のお手伝いである「折伏行」に活動充実していく中に、素晴らしい環境が生み出されていくことを心に刻み、精進していくことが肝要と心得よう。

 六十七世日顕上人は「一切を開く鍵は唱題行にあり」と御指南された。唱題は、我々の信行に全てを開き、尊い一念を生み出していく道がある。

 世法につけ仏法につけ、何事も環境や他人のせいにするのではなく、全ては自分自身の生き方、姿勢、強盛な信心にあると知って、確たる自己を築き上げ、大法広布のお手伝いをさせて戴こう。

 一喜一憂しない泰然自若な振る舞いが、我が人生の究極としていこう。

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