
日蓮正宗
筑波山
本證寺
筑波山本証寺創立三百五十周年
諸天も寿ぐ十一月二十八日、筑波山本証寺の創立三百五十周年記念法要が執り行われた。これには茨城布教区宗務支院長鈴木慈昭師をはじめ教区内外有縁の諸大徳、並びに永井藤蔵地方部長をはじめ近隣の各講中より多数の檀信徒が参詣した。
本証寺は万治三年(一六六〇)総本山近くの「上井出」に第十九世日舜上人を開基と仰ぎ「信行山本証寺」として創立され、その七十二年後の享保十七年(一七三二)現在のつくば市のほど近い牛久沼の新田開発に伴い移転、その二年後に総本山第第二十八世日詳上人お認めの御本尊を御安置申し上げた。現在本堂御安置の御本尊である。その後文政三年(一八二〇)現在地に移転、その時に山号を「信行山」から現在の「筑波山」に改め、その時から百九十年を迎える。現在の本堂は、昭和三十九年十二月、総本山第六十六世日達上人大導師のもと入仏落慶法要が奉修されたものである。
このたびの三百五十周年を記念して、駐車場用地の購入整備が行われた。
初めに法要の部が、木内道和住職のもと、献膳・読経・焼香・唱題と如法に奉修された。
続いて式の部に移り、総代の沖山礼司氏より経過報告、布教区を代表して鈴木宗務支院長、信徒を代表して永井地方部長より夫々祝辞が述べられた後、木内住職より参列の各位に対して丁重な謝辞が述べられた。
引き続き、総本山大坊内・伊達正存師より布教講演が行われ、最後に場所を本堂玄関前に移し参列者全員による記念撮影が行われ、法要の一切が滞りなく終了した。
●出席僧侶(順不同・敬称略)
○布教区
木村真悟 鈴木慈昭 平井丹道 高玉広正 中村収道 岩永悦道 中村拝道 松井佳道 齋藤譲学 渡部信法 福田法志
○布教区外
齋藤慈恒 濵田敏道 片野道誠 進藤道新 宮下道法 上野道武 箕輪信淨 伊達正存 木内信随 渡辺信盟 堀 良浄
(大日蓮780号・H23.2月号より転載)
※創立三百五十周年記念法要「経過報告」※
「皆様本日は誠におめでとうございます。今日は鈴木支院長様始め大勢の御尊師様方、永井大講頭様始め他支部の講員の皆様方の御出席を賜り、又心配いたしましたお天気にも恵まれ、この様に盛大に法要が執り行われますこと、心よりお祝い申し上げます。
それでは、命に依りまして、経過報告をさせていただきます。
今年は皆様御承知の如く、御宗門では「広布前進の年」と銘打たれ、平成二十七年の御命題に向かっての第一年目となる年でございます。我が本證寺と致しましても折伏実践の行動として折伏誓願目標を「六〇人」と立て、必ず成就して法要を迎えようと計画を立てました。お陰様をもちまして、九月二十三日のお彼岸の日に六十名が成就し、日舜上人御遷化の月である今月十一月に法要を無事に執り行うことが出来ました。
当本證寺は、今から三百五十年前の、万治三年・西暦一六六〇年、総本山大石寺の近く「上井出」と言うところに、総本山第十九世・日舜上人を御開基と仰ぎ「信行山本證寺」として創立されました。記録によれば、御開基・日舜上人がお書きになったご本尊様が、現在総本山に残っておるとのことであります。本證寺創立から七十二年後の享保十七年・西暦一七三二年、江戸幕府の政策により、牛久市にある牛久沼の新田開発が打ち出された事によって、お寺自体がこの沼の近くに引き移ることになりました。当時の檀信徒の数はわかりませんが、境内地は三町歩・田圃が三町歩、都合六町歩あったと記録に残っております。一町は三千坪ですから、境内地が九千坪・田圃が同じく九千坪、併せて一万八千坪あったことになります。そして二年後の享保十九年八月八日、総本山第二十八世日詳上人お認めのご本尊様を御安置申し上げました。今現在、本堂に御安置奉るご本尊様であります。非常に広い土地を持っていたのでありますが、いつの頃よりか田圃に沼の水が入るようになり、自然と成り立たなくなっていき、お寺自体の存続も危なくなりました。この様なことから、一時期、東京墨田区吾妻橋の妙縁寺に寺跡を預かっていただいたのであります。その後時代が下がり、文政元年・西暦一八一八年、また江戸幕府の政策により、当地つくば弥平太村に土地開墾のお達しが出され、伊豆の八丈島より檀家の先祖たちが数多く新田開発に出て参りました。その先祖たちが「菩提寺を建立したい。」と言うことになり、先祖一同が日蓮正宗に帰依し、当時の大旦那であった佐々木定右衛門の縁者が、時の妙縁寺の住職のお弟子になっていた関係で、本證寺を当地へ移すことになりました。翌、文政二年頃より諸手続を行い、文政三年にはお許しが叶って現在地に土地を戴いて、本證寺の造営が始まりました。先祖達は手作業で、木や石を担ぎ、一生懸命建物を造りました。この当時、総本山では第四十八世日量上人が種々御指南をなされました。日量上人の御指南を頂戴し、本證寺もこの時に山号を「信行山」から「筑波山」に改めました。この時から今年で百九十年になります。この地に移ってきてからは、明治の時代に二回火災に遭うなど、苦しいときもあったようですが、歴代御住職の中に総本山第五十一世日英上人が猊座に登られるなど、輝かしい歴史もあります。
皆様のご記憶に新しい現在の本堂は、第十五代御住職・飯塚慈悌御尊師が総本山にお願いして、昭和三十九年十二月二十四日建立されました。飯塚御尊師は、昭和十二年にご赴任以来昭和四十六年に亡くなられるまで、三十四年間努められました。この度、そのご息女でいらっしゃいます、宮城県上行寺御住職・齋藤慈恒御尊師の奥様、永子様の尊い志を頂戴し、約千坪の土地を御供養を戴きましたことを御報告申し上げます。総代と致しまして、この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。上行寺ご夫妻様、誠に有り難うございました。四月二十日に、総本山第六十八世・日如上人猊下のお許しを戴き、五月十三日に正式契約、六月二十日に総本山より駐車場工事の御許可を戴き、工事を「大和ハウス工業」に依頼致し、九月三十日に無事に完了致しました。今回の創立記念に合わせたかのように時がいたり、唯一の記念事業と致しまして「駐車場」として整備をし、本日も利用して頂いております。この駐車場を毎月の御報恩御講で一杯になるよう、役員一同と共に努力して参りたいと思います。
平成九年九月、第十七代御住職として、現御住職をお迎えいたしました。今年で丸十三年を迎えられ、本年「創立三百五十年」を迎えることが出来たのであります。この度の記念事業といたしましては、先程御報告申し上げたとおり、限られた予算の中から、駐車場の整備を行いました。また、檀信徒御一同様には「特別御供養」をお願い致しましたところ、二百三十六名の方に御参加頂き・総額三百七十三万円の御供養となりました。全て今回の駐車場工事に使わせて頂きましたことを御報告申し上げます。更に沖松講頭ご夫妻より、本堂内・塗装工事の御供養を戴きました。有り難うございます。皆様には、雰囲気の変わった本堂をご覧戴いて、これからは楽しく寺院にご参詣いただきたいと思います。
本證寺三百五十年の歴史が全て解っておるわけではありませんが、少しずつでも調査の輪を広げ、未来に向かって前進に前進を続けて行きたいと思います。十年を一つ一つの節目と捉え、中長期的な計画を立てて本證寺発展のために全力を尽くして参ります。現在は、平成二十七年・同三十三年の新たなる御命題達成に向けて、折伏・登山・参詣・育成となすべき事が沢山ありますが、唱題に唱題を重ねて「折伏第一」に講中の発展を尽くして参ります。
何卒、御参集の皆様には共々の信心倍増と罪障消滅、異体同心の団結を持って今後とも御教導下さいますようお願い申し上げ、大変長くなりましたが、以上で経過報告とさせていただきます。
本日は誠におめでとうございました。」